37500 Chinon
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ガロ・ロマン時代より存在する、ロワールの古城の中でも最も古いお城
シノン城はロワールの古城の中で最も古いお城と言われていて、わかっているだけでもガロ・ロマン時代の5世紀にはシノン城の元となる砦があったようです。大変見晴らしがよく、岩に囲まれたこの土地の特徴が戦争用の砦を作るのに適していたからでしょう。その後、トゥールとブロワの伯爵家に代々受け継がれましたが、1044年に地元を着々と支配していたアンジュー伯が勝ち取りました。
シノン城は150年もの間アンジュー伯の管理下にあり、ノルマンディー公爵とアキテーヌ公爵と、イングランド王の持ち物となりました。これがプランタジネット朝によるもので、1154年にはプランタジネット家のアンジュー伯ヘンリ2世がイギリスの王になり、シノン城は彼のメイン住居の一つとなり、その息子のRichard
Coeur de Lion(獅子王リチャード)と共に、シノン城の今残っている主な部分を増築しました。その後、フランスの持ち物になるのは、、フランス王フィリップ・オーギュストが英軍の手から奪取した1205年です。
フランス中世の社会―フィリップ・オーギュストの時代)
王妃アリエノール・ダキテーヌ―リチャード獅子王の母
宮廷置かれた15世紀初期
15世紀初期のシャルル7世の時代、シノンにとっては歴史的にとても重要な時期でした。当時イギリスの王、ヘンリ4世は「パリの王」でもあり、シャルル7世はブールジュの王にしかすぎませんでしたが1427年にシャルル7世はシノンに小さい宮廷を置き、翌年にまだ彼の権威に従順なセントルと南の地方の国会を召集し、400.000票によるオルレアンに攻囲されたオルレアンを奪回する議決が行われました。
1429年には、神のお告げを聞いたとしてイギリス軍からオルレアンを奪回する為に、ジャンヌ・ダルクがシノン城のシャルル7世を訪ね、援軍を得たおかげでイギリスからフランスを救ったとされる話はとても有名です。
その後、1633年にリシュリュー枢機卿の手に渡ってからはその家族が革命期まで住んでいたりしましたが、次第に誰もすまなくなり、城を切り崩してその石を売りさばく者たちによって、荒れるがまま廃墟となっていきました。
ジャンヌ・ダルク美術館
14世紀の時計塔門をくぐり城内に入ると、ジャンヌ・ダルクがシャルル7世に拝謁した大広間跡があり、当時の暖炉が残っています。また、19世紀以降に修復された王の住居には、17世紀の調度品やタペストリー、シャルル7世時代を再現した蝋人形などが展示され、往時の栄華が偲ばれます。
シノン城の時計塔の中には、ジャンヌ・ダルク美術館があります。この塔の小鐘楼は、1942年にMonument
Historique(歴史記念建造物)にリストアップされ、この地の頑丈な岩壁の性質のお陰で1399年から一度も移動、崩壊されることなく存在しています。
美術館内では、ジャンヌ・ダルクの英雄伝説が主に四段階に分けて説明・展示されています。
1、ジャンヌ・ダルクのイメージ
2、トゥーレーヌとジャンヌ・ダルク
3、ジャンヌ・ダルクと戦争
4、捕虜されたジャンヌ・ダルク