サッシェ城は中世時代に建てられ、その後ルネッサンス様式に建てかえられました。17世紀にはRousseléルッセレ家の所有物となり、サッシェ村の教会の中にはルッセレ家マルゴンヌ嬢の墓もあります。19世紀にJean
de Margonneジョン・マルゴンヌ夫妻が買取り住み始めてからはマルゴンヌ氏と親しい間柄であった、Honoré
de Balzacオノレ・ド・バルザックが頻繁に滞在してLe Père Goriot(ゴリオ爺さん)、Le
Lys dans la vallée(谷間の百合)などの有名な小説を書いた場所として知られています。
20世紀の中頃から城の中にバルザックの記念館がPaul
Métadier(ポール・メタディエ)氏によって作られ、約50年間館長としてバルザックのオリジナル書籍や寝室などを整えていきました。
現在はIndre et Loire県の所有物となり、特に2002年~2006年にかけてバルザックの重要な著作物のオリジナル推敲原稿などを買い取りデジタル化し、専門家・研究者達に向けて閲覧などを開放するなど、博物館を充実させてきました。
記念博物館の地下には実際にバルザックが使用していた印刷機やや親友でもあったロダンが作ったバルザックの彫刻などバルザックが生きた時代を知るにも格好の場所となっています。
Honoré de Balzac (オノレ・ド・バルザック)- (1799-1850)
オノレ・ド・バルザックは1799年5月20日トゥールにある小貴族の家に生まれる。幼少時代からあまり母親に愛されず、Vendôme(ヴァンドーム)の寄宿学校に入れられ孤独な少年時代を送っており、母親からの愛の欠乏と、彼の人生の女性遍歴の多さは、関連づけられて言及されることが多い。
家族と共にパリに引越し、親の意向により大学で法律を学び公証人としてのキャリアを歩まされそうになるが本人はそれを拒否し、図書館に篭り読書に没頭、ジャーナリストと小説家を志す。また実業家でもあり、多種に渡るビジネスの構想があり複数の出版社の創立に参加したり自分自身でも印刷業を創業したりした。しかし1828年には倒産し、その後は多大な借金を返すために小説や記事などを大量に書き始めるようになる。
1833年からそれまで書き溜めていた小説などもまとめてLA COMEDIE HUMAINE(人間喜劇)という多種多様な人間模様を描いた膨大なシリーズを書き始めて、かなりの数に登る登場人物の描写の仕方やある小説では端役であった人物が他の小説では主人公になるなどの独特な書き方をして、人気を博した。
それぞれの小説の中に出てくる登場人物は実際に身近に居た人物達をモデルにしたとされ、バルザックの小説を読むことで19世紀の実際の人間模様や世相をリアルに感じることができるのもこのためである。